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皇居一般公開とトンデモ神社靖国

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東京生まれでも皇居は行った事なかったので4/4から一般公開される皇居乾通りに行ってみた。

公開は4時まで(入門は3時まで)だったが人が多く一時半に公開取りやめになった。続々詰め掛ける人々を警察隊が排除。仕方なく大手門から皇居を抜け、千鳥ヶ淵靖国神社へ。
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靖国遊就館では特別展大東亜戦争展が開催中。相変わらずの戦争推進神社でした。



 靖国のパンフレット「 靖国神社の本殿はあくまで、当時の官軍、つまり政府側(天皇)のために命を落とした人たちをおまつりするお社である、という考えで出発したのでして、それは非常に意味のあることだと思うのです。 そこには「忠義」という徳が国家経営の大本として捉えられているという日本特有の事情があるのです。 「私」というものを「公」のために捧げて、ついには命までも捧げて「公」を守るという精神、これが「忠」の意味です。

この「忠」という精神こそが、・・日本を立派に近代国家たらしめた精神的エネルギー、その原動力に当たるものだろうと思います。ですから・・命までも捧げて「公」を守る、この精神を大切にするということは少しも見当違いではない。その意味で、靖国神社の御祭神は、国家的な立場から考えますと、やはり天皇のために忠義を尽くして斃(たお)れた人々の霊であるということでよいと思います。

靖国神社の場合は、・・王政復古、「神武創業の昔に還る」という明治維新の精神に基づいて、お社を建立しようと考えた点に特徴があるといってよいかと思います。

あの社は天皇陛下も御親拝になるきわめて尊いお社である。微々たる庶民的な存在にすぎない自分が命を捨てて国の為に戦ったということだけで天皇陛下までお参りに来て下さる。つまり、非常な励みになったわけです。
国の為に一命を捧げるということが道徳的意味をもつのは万国共通です。言ってみれば、人間にとっての普遍的な道徳の一項目なのです。

実は総理大臣が何に遠慮して、参拝に二の足を踏んでいるのか不思議でならないんです。
中共が総理大臣の参拝に文句を言ってくるのは、何も彼の国民感情が傷つけられたなどという話ではまったくない。あの国の民衆の大部分は靖国神社の存在すら知りません。・・外に問題を設けて反対勢力の目をそちらに向けさせようという国内政治の力学が働いている程度のことであって、まともに相手にすべきことではないんですね。

だから私はこの問題でも総理が断固として参拝されるのがよいと思うんです。そうすると直ちに北京から文句を言ってくるでしょうが、適当にあしらうなり、知らぬ顔を決め込むなり、いくらでも対処の仕方がある。
総理が北京からの苦情を無視して何度でも繰り返し参拝すれば、そのうち向こうも諦めて黙るに決まっている。
総理の参拝が実現し、やがて天皇陛下行幸もできたということになると、私は国民のモラルに非常によい影響を与えることができると思うのです。」(小堀圭一郎・東京大学名誉教授)靖国神社
職員有志の主張2.大東亜戦争に関わる英霊について

 大東亜戦争は、欧米列強によるアジア植民地支配からの解放を成し遂げるための、正義の戦いでした。
 残念ながら日本は多大な犠牲を払いましたが、しかしその目的は達成され、アジア諸国は独立を果たしました。
 当神社に祀られている英霊は、この尊い偉業に命を捧げた方々です。
 この方々を、私たちは神様としてお祀りしています。

 私たちとしてはこの正義の戦いである大東亜戦争について、日本国家には一切謝罪も反省も必要ないと考えています。
 一切の戦争責任を負う必要ないと考えています。
 「侵略戦争」だなどとは言いがかりも甚だしいというものです。
 もちろん、敵国による茶番劇であるあの「東京裁判」なんぞは一切認めません。
 これが私たち職員有志の考えです。
 この私たちの考えは、付属施設である「遊就館」をご覧いただければご理解いただけるかと思います。

 さらにまた、参拝者各位におかれても、私たちのこの主張にご賛同くださる方々ばかりであると信じています。
 対外的な都合によりやむをえず「謝罪と反省」を口にする人(させられる人)であっても、当神社で参拝するということは、その本心においては大東亜戦争を正義の戦いであったと考えている人たちであると信じています。
 私たちはこのような考えで、参拝者の皆さんをおむかえします。

 靖国神社は「追悼施設」ではない

 私たちの靖国神社は、追悼施設ではありません。
 戦没者の冥福を祈る場所ではありません。
 靖国神社は、戦没者を神様として崇め、すがるための場所なのです。
 こちらが救ってやるのではありません。参拝者は救っていただく立場なのです。
 ここが仏教等の他宗教と神道との根本的な違いです。正反対といっても過言ではないでしょう。
 また神社というものは、戦没者の遺体や遺骨が埋葬されている墓とは、その性質が全く異なるものです。

 他の神社ならばこのことは容易にご理解いただいていると思います。
 伊勢神宮には天照大神が祀られ、明治神宮には明治天皇が神様として祀られています。
 伊勢神宮に参拝する人は天照大神にすがる思いで参拝していることでしょう。
「すがる」という言い方が強すぎるとしても、「天照大神のおかげで何かいいことあったらいいな」くらいの気持ちは、あるはずです。
 明治神宮にしても、明治天皇の冥福を祈るために参拝する人はおそらくいないと思います。皆、神様となられた明治天皇にすがる思いで、あるいは「明治天皇のおかげで何かいいことあったらいいな」という気持ちで参拝していると思います。
 太宰府天満宮など、鬼神を「慰めるために」建立された神社はありますが、天変地異が頻発した建立当時はともかく、今日の参拝者においては「慰める」気持ちではないでしょう。菅原道真公の冥福を祈るつもりで参拝する人はいないでしょう。やはり、学問成就のためにすがる思いで参拝していると思います。

 当神社にしても同様なのです。
 靖国神社には、中心となる一体だけの主神は、ありません。多数の戦没者が皆、神様なのです。
 死してなお国を守り続ける、護国の英霊なのです。
 この神様方に対して、参拝者の立場で「冥福を祈ってやる」だとは、おこがましいにもほどがあります。
 靖国神社は、そういう場所ではありません。
 神様方に対して、こういう傲慢な気持ちで臨むつもりの人は、どうか参拝をご遠慮ください。