またまた世界に恥をさらす。

産経新聞は、国内団体が「慰安婦は売春婦に過ぎない」という名の英文パンフレットを製作し、最近、米国上院・下院と慰安婦少女像の米国グレンデール市の市長・市議会議員などに送ったと伝えた。   

一方日本の代表的な歴史団体である歴史学研究会慰安婦強制連行と暴力性を明確に確認という声明を10月に発表した。

以前日本がアメリカの新聞に慰安婦は性奴隷ではないと広告を載せて一斉にバッシングされたのを忘れたようです。

プレトニョフ編「眠りの森の美女」

https://m.youtube.com/watch?v=nbx4B3zxO5Q
プレトニョフチャイコフスキーピアノのための演奏会用組曲「眠りの森の美女」~アダージョを弾いてみました。

ピアノはバイエルやツェルニー30番位は習いましたが自己流です。コンクールも3回出場して2回入賞しましたが練習も電子ピアノです。
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組曲は全11曲ありますが弾けるのは10番アダージョです。
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またまた世界に恥をさらすネトウヨ議員。

堺市の池尻秀樹市議慰安婦碑にいちゃもんつけに行ったら、アメリカ人市長に一蹴 される 「慰安婦の碑は米国市民たちの意思によって建てられたものだ。こんな時間があるなら、慰安婦被害者たちに会うべき。彼女たちは生き証人だ」(産経ニュース)


次世代の党の杉田水脈議員はアメリカ慰安婦像に抗議。アメリカで日系人達に会うが日系人達はみな慰安婦像に賛同だった。杉田水脈は「日系人達は日本の左翼と同じ」と日系人達を左翼呼ばわり。

自民党高橋とみよ「日本の慰安所は合法」

自民党高橋とみよ「関口宏はオリンピックとは何の関係もない従軍慰安婦まで持ち出して、 こともあろうか「オリンピックより従軍慰安婦への補償が先だ」とまで言う始末。」 高橋とみよ「事実誤認でした。お詫びして訂正します」しかし「日本の慰安所は合法で規律正しかった」
慰安婦とは『強制連行されたと大嘘をぶっこいている、売春婦の婆さんたち』の事」
このような議員がいる事こそが日本の恥。

ザ・トレジャーガーデン館林

2014年10月31日、バラの見頃の時期ですが人がほとんどいません。
庭園の景色も美しくイギリスの田舎を散歩してるような気分です。
東武線「茂林寺前」駅下車、ぶんぶく茶釜の茂林寺を通り駅から徒歩15分でトレジャーガーデンです。
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秋バラが見頃。
f:id:Horus0209:20141101102143j:plainhttp://m.youtube.com/watch?v=ef6UJNlR8mI動画

ロングボーダーガーデン
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バラ(マリリン・モンロー
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バラ(オリンピアード)
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リリアントガーデンも人っ子1人いません。

被害者証言がなくともそれで慰安婦強制連行がなかったと言えない(産経新聞)

終わらぬ謝罪行脚
1992年(平成4年)8月、ソウル市内で開かれた集会。元従軍慰安婦、金学順さん(69)の前で、深々と頭を下げる日本人がいた。
「申し訳ありませんでした……」
太平洋戦争中、山口県労務報国会下関支部の動員部長だった吉田清治さん(79)だった。43年(昭和18年)から2年間、韓国・済州島で約1000人以上の女性を従軍慰安婦に連行したことを明らかにした「証言者」である。
渡韓したのは、全国で「贖罪講演」を続ける吉田さんが、従軍慰安婦たちに謝罪するためだった。
「私の行為には、すべて犠牲者がいる。私が死んでも、彼女たちへの謝罪は終わらない」
吉田さんの証言では、最初に慰安婦を連行したのは43年5月。当時、労務報国会の会長だった山口県知事から徴用業務命令を受け、9人の部下とともに済州島に渡ったという。
「翌日から『慰安婦狩り』に着手し、軍用トラックに分乗して集落を回った。泣き叫ぶ女性の腕をつかみ、民家から路地に引きずり出した」
約1週間で徴用した慰安婦は205人。船で釜山に集め、関釜連絡船で下関に連行したという。
約20年前、吉田さんは加害者の立場から初めて口を開いた。韓国政府は92年7月、挺身隊問題実務対策班の中間報告書をまとめたが、そのなかにもこの証言は記載されている。
しかし、吉田さんの証言が明らかになるにつれ、その信ぴょう性に疑問をとなえる声があがり始めた。証言を裏付ける被害者側の証人が依然、現れないからだ。
93年(平成5年)、韓国挺身隊問題対策協議会共同代表の尹貞玉さんが済州島で行った従軍慰安婦の実態調査では、島民は一様に口をつぐみ、尹さんは「今後長期的に真相究明の手段を講じる必要がある」と結論付けた。
が、被害証言がなくとも、それで強制連行がなかったともいえない。吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っていることは確かだ。
吉田さんは93年8月、「挺身隊国際援護会」を結成、韓国の元慰安婦たちに医療費を送る活動を始めた。
儒教精神の強い韓国で、慰安婦だった過去を語ることがどれほど勇気のいることか。それが、慰安婦問題の現実なのです」
 
●強制連行● 戦時中の強制連行による朝鮮人労働力の動員は、1939年(昭和14年)ごろからの「募集」方式に始まり、42年(昭和17年)には朝鮮総督府内に置かれた朝鮮労務協会を運常主体とするより強制的な「官斡旋」方式に移った。戦況の悪化などで労働力不足が深刻化した44年(昭和19年)には朝鮮にも国民徴用令を適用し、朝鮮人を自由に連行するようになった。労務者として日本に連行された朝鮮人は少なくとも110万人といわれている。

上記は、1993年9月1日産経新聞に連載された『人権考』の全文である。これは、産経新聞執行役員平田篤州の大阪時代の記事である。そしてその連載は、第一回坂田記念ジャーナリズム賞を受賞した。